実践女子学園中学・高等学校 2020年卒業 K.N
言語化できない思いを形にする——ダンス部で培った「表現の土台」

実践女子学園中学校高等学校への進学を決めた最大の理由は、学校見学時の直感でした。渋谷という日本の流行の最先端の地に位置しながら、派手すぎず落ち着いた空気が漂う学園の雰囲気が自分にぴったりだと感じたのです。
2歳からクラシックバレエを続けていたこともあり、入学後はダンス部に所属。中1から高3の部員が一つになって活動する中で、先生や先輩から時には厳しい指導を受けながら、精神的にも肉体的にもすごく成長をしました。気持ちを行動で示すことの大切さを学び、最後まで強い意思でやり抜く力を身につけたのもこの頃です。
また、私が在籍していた頃はダンス部にはコーチがおらず、生徒だけでテーマを決め、選曲や振付、衣装考案まで全てを考えるのが特徴です。私は主にコンセプトの深掘りや構成を担当し、踊ることよりも考えていることが好きでした。「どんなメッセージを届けたいのか。どうすれば言葉を使わずにそれを観客に届けられるか」を必死に考えながら、言語化できないものを形にするプロセスは、現在の私の創作活動の原点です。
母の死という原体験から、医療とデザインの交差点を志す

中学3年生の時、10年間の闘病の末に母を乳がんで亡くしました。思春期での喪失体験は、自分の中ですぐに整理することのできない大きな出来事でしたが、ダンス部の仲間や先生方の存在が大きな支えになってくれました。
この経験がきっかけとなり、もっと癌治療について真っ直ぐ向き合って行きたいと思うようになった私は、高校1年生のときに学園のグローバル教育プログラムで米・ボストンへ。がん医療の最前線を走る「ダナ・ファーバーがん研究所」を訪れ、大きな衝撃を受けました。そこには、私が母と過ごした殺風景な病室とは真逆の、森のようなゆとりと安らぎのある空間が広がっていたのです。医者や看護師にならなくても、デザインや建築の力で患者さんやその家族を救うことができる――そう確信した私は、病院建築を将来の目標に定め、医療ケアや心理学も横断的に学べる慶應義塾大学SFCへの進学を決めました。
コロナ禍で見つめ直した「グリーフケア」と「死んだ母の日展」
大学進学後、病院建築に向けてリサーチを進めようとした矢先、コロナ禍によって病院への立ち入りが制限されました。外でのリサーチができないなら、自分の内側にある「死別」という原体験を掘り下げよう――社会全体にも「死」と向き合う空気が漂う中、病院建築から「グリーフケア(大切な人を亡くした悲しみのケア)」の研究へと軸足を移した結果、それが2022年から続く「死んだ母の日展」へとつながりました。
「死んだ母の日展」を企画した直接的なきっかけは、「母の日」が近づくたびに、街やSNSに流れてくる「お母さんにありがとうを伝えよう」という広告や、ギフトを渡している写真たちでした。母を亡くした私にとって、「母の日」は母がいないことをふと思い出させてくる日。そこには、少しだけしんどさがありました。
亡き母への手紙を匿名で投稿・公開できるオンライン展示を中心としたこの企画は、今年で5回目を迎えました。今回は初めてパブリックアートに挑戦。「晴れでもあり、雨でもある。」と題したアドバルーン作品を制作し、母校である本学園の屋上に掲揚しました。

アドバルーンが問いかける多義的な視点
祝祭を象徴する広告媒体である”アド”バルーンをあえて用いたのは、「母の日」の苦しさの原点に、街中に溢れる広告の存在があったからです。しかしそれは、「母の日」を祝わないでほしいという意味ではありません。誰かがお母さんに感謝を伝える風景の隣で、亡き母を静かに想っている人も同時に存在している。二項対立のように分けるのではなく、それぞれに異なる「母の日」があっていいのだと思っています。そうした多様な感情が、同じ社会の中に静かに共存していることを表現したいと考えました。また、花屋やデパートなどのプロモーションによって均一化・商業化されていく「母の日」そのものへの問い直しの意味も込めています。
白いしずくの形状は、昔ながらのアドバルーンの基本寸法をベースに、その一部を少しだけ引き伸ばして制作しています。そのため、一見すると普通のアドバルーンのようにも見えますが、ふとした瞬間に「しずく」の輪郭が立ち上がる形状になっています。晴れた日には「太陽」、雨の日には「雨粒」、人によっては「涙」や「つぼみ」のようにも見え、角度によっては球体にも映る。見る人や状況によって異なる意味を想起させる多義的な造形に、「母の日」をめぐる感情の多様性をそのまま表現しています。現在は、ヘルスケア企業でデザイナーとして働きながら、東京藝術大学大学院で学びつつ、現代アーティストとしても活動しています。

渋谷の上空という公共空間にアートとして展開することにしたのは、悲しみの当事者だけでなくより多くの人に届けたい思いと、日常の風景の中で自分の感情と静かに向き合う時間を生み出したいという願いがあったからです。そして何より、本学園は私自身の喪失感の受け皿になってくれた大切な場所。登下校の道すがら、ゆっくりと母の死と向き合ってきた思い出の地でもあります。
「死」というセンシティブなテーマを学校で展開することには賛否があると思います。それでも、「知識」ではなくアートを通じた「感情」から社会課題を見つめ直すきっかけとして私の取り組みを受け止め、ダイバーシティ教育の一環と捉えてくださった学園の先生方には感謝しかありません。
母校からもらったたくさんの宝物

作品掲揚にあたり、かつての担任の先生から「自分の意思の強さに誇りを持って」という言葉をいただきました。ひとりの表現者として成長した姿を恩師に見せられたことで、少しは恩返しができたのではないかと感じています。
美術の授業では、生徒の皆さんが私のアドバルーン作品をデッサンしてくれました。「月のように輝かしい、さまざまな人を救う光」として夜に掲揚されるアドバルーンを描いてくれた人もいれば、「バルーンが飛ばないように」と、小さな女の子がバルーンのひもを握るストーリーを絵にしてくれた人もいました。生徒の皆さんの多様な視点から、私自身も新たな気づきをもらいました。
そして、私自身の作品制作の土台が、母校のダンス部での経験にあることを再認識しました。制作プロセスの原点に立ち返った今、母校で作品を展示できた意義をあらためて実感しています。


「問題提起」と「社会実装」——アートとデザインを両輪に
現在は、フリーランスのデザイナーとしてヘルスケア企業の仕事に携わりながら、現代アーティストとして活動中です。
アートとデザインの違いについてよく議論はされていますが、その模範解答の言葉を借りると、アートはある種の「問題提起」であり、デザインはそれを生活に溶け込ませる「社会実装」。これからも「ケア」の領域を中心に、皆さんの中にもある見えない痛みや言葉にできない違和感に社会的な居場所を作り、それを日常の景色やシステムとして定着させていきたい――そのためにも、アーティストとデザイナーの両輪で動いていきたいと考えています。
現在構想中のプロジェクトは30個ほど。それでも最終目標はやはり、理想的な「病院建築」です。しかし、この夢は決して一人では実現できません。困った時には素直に「助けて」と言える仲間たちを大切にしながら、彼らの力を心から信頼して進んでいきたいと思っています。この周囲を巻き込む力も、間違いなくダンス部で培ったもの。これをフル活用しながら、持ち前の「強い意志」をもって歩みを続けていくつもりです。
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