実践女子学園中学校・高等学校 2012年卒業 K.M
「好き」が「本気」になった、実践女子学園の6年間

今、私は絵描きとして活動を行っていますが、最初からこの道を目指していたわけではありません。きっかけは、高校の美術の授業。自画像を描くというテーマだったのですが、私は「同じことをしてもつまらない」と勝手にデフォルメした自画像を描いたんです。普通なら先生に叱られてもおかしくない状況だったのですが、先生は「いいですねぇ。おもしろい」と優しく褒めてくださって。このことがきっかけになり、次第に美大への進学を意識するようになっていきました。思えば一度も自分がやりたいことを否定されたことはありませんでしたし、同級生も歌ったり踊ったりと自分が好きなことに夢中になっている人ばかりで。そんな校風だったからか、私が美大に行こうかな?と言ったときも同級生は「昔から絵が好きだったもんね」と頷くだけで、「就職は大丈夫なの?」「将来を考えたらさ」という人も一人もいなかったんです。さすがに母親は心配そうな顔をしていたものの、美術の先生が熱心に説得してくれて。好きなことを否定されることもなく、全力で背中を押してくれる。もしも実践女子学園のこの文化がなければ、美大に行くことも、絵描きになることもなかったかもしれません。
美大卒業後、留学先でみつけた新しい自分

実践女子学園中学校・高等学校の卒業後、無事に美大の油絵学科に進学。大学の4年間は作品制作に打ち込み、自分らしい表現を探すことに没頭していました。特に大きかったのは、「プールと森」という現在にも続く作品モチーフに出会ったこと。幼少期を過ごした東南アジアの風景に着想を得た主題だったこともあり、このときから「自分のルーツをもっと深く知りたい」という想いが頭の片隅から離れないようになっていきました。大学卒業後は一般企業には就職せず、絵画教室で教えながらアート活動を続ける日々を過ごしていたのですが、ある日、インドネシア政府が奨学生を募集していることを知り、思い切って海を渡ることを決めました。現地の美大では言語や文化、伝統芸術を学びながら、自分の作品制作を並行して行っていました。大自然のなかで活動に取り組むことで「プールと森」という題材の解像度が上がり、留学中に「大きな自然のなかの小さな自分」というコンセプトへ発展していきました。絵描きとして、生きていきたいと思うようになったのもこの頃。当時は「絵で食べていく」ということがはるか遠い世界の出来事のように見えていたのですが、「昼間は農作業をして夜は制作を進める」「農家でありながらアーティストでもある」そんなインドネシア人たちの姿を見るうちに、私もこうありたいと考えるようになっていったんです。







絵で生きていくと決めた、初めての個展の開催
帰国後はその勢いのまま、自ら会場を借りて初の個展を渋谷で開催。実践女子学園の恩師である美術の先生、私の夢を応援し続けてくれた同級生たちも駆けつけてくれて。少なからず不安があるなかで皆の顔が見られてとても勇気づけられましたし、SNSを通じて私の作品を知ってくださった方々が個展で絵を購入してくださったことも非常に大きな自信につながりました。この経験が「作家として生きていこう」という覚悟につながったのは間違いありませんし、この個展を境に、国内外での展示を中心に、書籍の装丁や挿絵、舞台美術やワークショップなど、絵描きとして本格的に創作活動を展開するようになっていきました。また、SNSやホームページで作品を発信し続けるなかで、編集者の方から声をかけていただくようになり、絵本制作にも取り組むようになりました。

私が教わったことを、今度は多くの人へ
今後、私が力を入れていきたいのは、絵を描く楽しさを伝えること。絵画教室やワークショップで世代を問わず様々な人が絵と向き合う姿を見られるのは自分にとっても刺激がありますし、何より参加者の方々から「楽しかった」と言ってもらえることが純粋に嬉しいんです。仕事として絵を描いていると、売るためにはどうすればいいのかとか余計なことを考えてしまうこともあるのですが、絵画教室やワークショップで皆さんが楽しそうに絵を描く姿を思い出すと、「そうだ。自分も楽しいから描いていたんだ」と初心に立ち返ることができるんです。今は高校時代の恩師に声をかけていただき、実践女子学園の美術部員にアドバイスをする機会もいただいていますし、これからも「上手くなるにはどうしたらいいか」とか「人に評価されるためにはどうすればいいか」とかではなく、絵を描くことで発見できるたくさんの喜びを、より多くの人に伝えていきたい。かつて恩師が私にしてくれたことを、今度はたくさんの人に返していけたらと考えています。だって、絵を描くって本当に楽しいんですから。


※このページの掲載内容は、取材当時のものです
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